エロノベル脳ジェネレーション

TL小説ばっかり読んでるママです

パチンコの朝並ぶときに三島由紀夫を読む彼

 私は長男を生んだ後、復職してしばらく働いていた。長くいた職場で、みんな気安く面白い人ばかりだった。特に私が親しみを持っていたのは7才年上の上司クマ杉さんだ。クマ杉さんとは先輩後輩にも近い肩肘張らない間柄だった。彼は、自分が歯並びが悪くてハゲであることをとても気にして、彼女を作ることを諦めていた。「クマ杉さんは合コン行かないんですか?」と失礼なことを聞くと 「歯を矯正したら」とか「髪の毛が生えたら」と笑って答えてくれる。そんな気にするほどでもないのに。「休日何してるんですか?」と聞くと彼は正直に「ソシャゲとパチンコ」と答える。「俺、パチンコの朝立ちのときに三島由紀夫を読むんだ」とも。なんて正直で複雑な人だろう。私は彼が大好きだった。 

 あるとき職場の忘年会で、クマ杉さんと近い席になった。クマ杉さんのほか、先輩のレイコさん、新人の川内くんが同じテーブルに並んだ。比較的年の近いレイコさん、川内くんと私で盛り上がる。話題は川内くんが今付き合ってる彼女について。レイコさんと私で、「彼女は年下?」「デートはどこ行ったの?」「お台場デートいいね~!」などと囃し立てていた。川内優輝選手似の川内くんは嬉しそうに質問に答える。その間クマ杉さんは胃液を反芻しているような渋い顔で黙っていた。クマ杉さんはきっといい気はしてないのだろう。きっと、リア充自慢してんじゃねえよ川内死ねぐらい思っているかもしれない。分かっていてもついつい打てば鳴るようなテンプレートに沿った会話が楽しくてだらだら続けていたが、頃合いを見計らって私が話題を変えた。「そういえば川内くん新しい部署には慣れた?」川内くんは、某有名企業に客先常駐で派遣されていた。私やクマ杉さんもそこで働いたことがある、とてもおしゃれで広大なビルの一角で仕事をしている。川内くんは「まあ慣れました」と続ける。「でもお昼が大変なんです」「どうして?」「女性陣は部屋のテーブルでみんなで楽しそうに食べるけど男性陣はみんなデスクで食べるんです。僕の席は女性が陣取るテーブルに近いからお昼はとても居づらいんです」と川内君は言う。クマ杉さんがだしぬけに会話に入った。「じゃあ部屋から出て外で食べればいいじゃん。ビルの中にいくらでも食べれる場所あるでしょ」「ありませんよ」と川内君。「全然場所ありません、クマ杉さん知らないんですか!本当に食べるとこないんですから」クマ杉さんはそれを聞いて突如怒り出した。「知ってるに決まってるだろ、俺もそのビルは何度も行ったことあるんだそ!なんだその態度、馬鹿にしてるのか!」「馬鹿にしてませんよ、でも本当にないんですって」「あるぞ!絶対ある!」そんな応酬が続く。

 川内君は怒られても引かない。クマ杉さんもデスク以外にお昼を食べれる場所あるかどうかという超どうでもいいことで怒っている。私は少し呆れた。クマ杉さん大人げないなと思った。きっとさっきまで彼女の話を延々と聞かされてストレス溜まって怒っちゃったのかな。私は適当にとりなした。「あのビルとても広いから川内くんもよくよく探せばあるかもしれない。あとほらマックの前にあるベンチで食べればいいじゃん隣にドナルド座ってるやつ」そんなことを言った。
 翌日、クマ杉さんから「昨日はごめんね」と謝られた。「気を遣わせちゃったね、俺も熱くなり過ぎたなって思ったよ」「いやいや、川内くんも引かないからびっくりしました」と私はクマ杉さんを肯定する合槌をうつ。それを聞いてホッとしたクマ杉さんは「実はさ」と告白する。「あれから家に帰ったあと川内に電話したんだ。やっぱあの態度は問題あったからさ、はっきりさせとかないとって思って。ちゃんと冷静に話をしたよ1時間ぐらい」「はあそうですか」 やっぱりクマ杉さんヤベえやつだなとそのとき思った。 

 それから1年ほど働きワーキングマザーがほとほと嫌になった私は次男を妊娠して辞めた。辞めた後も、仲の良かった同僚女性二人が私の顔を見に遊びに来てくれた。そこでクマ杉さんや懐かしい人たちの近況を聞く。「クマ杉さん元気?」「元気だよ」「川内くんは?」そこで二人は苦笑いをした。「あのサイコパスね」と笑う。「なんでサイコパスなの?」クマ杉さんではなくて。「川内くんはサイコパスだよ、あいつ彼女殴ってるんだよ。それをお客さんに雑談で自慢したんだ。後ですごく怒られたらしいけどね」
なんということだろう。川内くんがそんな人間の風上におけないゴキブリ以下のクズだったとは全然気づかなかった。きっとクマ杉さんは、あのとき川内くんのドブ沼のような人間性に気づいたのだ。私は何を見ていたのか。ヤベえやつは川内くんだった。クマ杉さんはすごい人だ、正直で複雑で深い知見のある人だと私は敬服した。

 クマ杉さんは元気だろうか。あれから法改正で出玉が規制されるようになったけれどまだパチンコをしているのだろうか。行列の中ひとり背筋を伸ばし難しそうな本を読むクマ杉さんの姿が目に浮かんできた。

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)